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温故知新

-歴史は繰り返す-の実現を

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■1979年度シーズン、始動

1979年度シーズン(初優勝前年)
始動①
資料ラグビーマガジン1979年4月号
「選ばれた男たち」

79.4伊佐地主将


始動②
資料ラグビーマガジン1979年5月号
「チーム短信」

同志社大学(実際の記事登場順は7番目です)
 同大が練習を開始した。3月20日から25日までは春合宿でみっちりしごかれて部員は根を上げている。合宿所に帰ってくると部員はひたすら寝るだけといった日課が続いている。
 レギュラーがずいぶん抜けたが、その穴を埋めるのに十分な新人の入学が決まった。FWでは砂川南の阿部、茨田高校の寺村、高鍋高の二見ら粒揃いである。バックスも日本代表の白川(CTB)が入学。同志社高校からも中山、南といった好選手が憧れの同大のジャージーを身にまとう。
 日本若手選手のニュージーランド遠征にも主将の伊佐治とロックの林が選ばれて両選手とも5月2日までチームから離れる。伊佐治新主将は「俺がいないときも練習を怠らずに頑張ってくれ」と部員に気合いを入れて飛びたったが、逆に部員から「よけいな心配しないで、キャプテンの方こそしっかりやってください」と冷やかされる始末。
 例年3~4月にかけては、4回生と新入生が入れ替わりで、寮は引越し騒ぎでテンテコ舞い。このほどやっと整理も終わり一件落着。

日本体育大学
 数ある大学ラグビー部の中でも部員の多さでは一番。新入生を含めず現在85名の大所帯だ。合宿所も横浜の健志台にあるグラウンドの隣りにある寮と世田谷の合宿所に離れていた。世田谷の合宿所の部員は、通っていたわけだが、それもせいぜい週に2~3回、何かと不便だったが、このほど横浜にもう一つ合宿所が歓声、晴れて部員全員が健志台で練習できるようになった。
 3月26日からは春合宿。合宿での最大の難関は400メートルと800メートルのトライアル。400メートルは60秒、800メートルは2分30秒の壁をFW、バックスに関係なく、全部員この記録を破らなければならないとあって必死。このタイムをきれなければ”アゲイン”といわれて何回もやらなければならない。この目標完遂方式が”日本一”の証明か。
 今年の新入生は逸材揃い。
 日本高校代表の中から、山本(伏見工)、小野(大東文化一)、村上(新田高)、吉田(関商工)ら4人も入学が決まり、首脳陣は、今からV2とホクホク顔だ。

慶応大学
 慶大蹴球部は豪州・NZ遠征を4勝2敗の成功のうちに帰国したが、むこうでの思い出話に話がはずんでいる。
 遠征の半分以上は民泊で過ごしたが慶大ラグビー部員の普段の努力のかいあって会話のほうでも実力を発揮。積極的に外人と話をして別に困りもしなかったという。しかし何といっても、現役部員よりも吉岡、上田の両OBは抜群。海外経験も多いとあって、学生の通訳をかって出たり、こちらのほうでOBの面目躍如といったところ。そんな中で一番下手だったというのが和崎監督。外人に何を話しかけられても「サンキュー、サンキュー」で通したという。「あの度胸はやっぱり監督さん」とみんなに変な褒められ方をしていた。
 外人と試合をするごとに、そのあとのミーティングは壮絶なもの。慶應のメンバーも負けるものかと飲めや歌えの大フィーバー、ついつい度を越して今岡、塚田の両選手は民泊に帰れずウロウロ。とうとう幹部の泊まっているホテルを真夜中に探し出して、チャッカリ泊まりこむといったことも・・・。

明治大学
 今年の大学選手権では決勝で日体大に敗れて2連覇を阻止された明大だが、今年も昨年に引き続き、キャプテンを夏合宿まで決めずに、リーダーによる合議制をとることになった。FWの瀬川、木村、バックスの金丸、渡辺和の4人だが、そろって日本高校代表として第1回のイングランド遠征にいった選手ばかり。また、ジャパンの若手によるニュージーランド遠征にも、砂村、橋爪らの2年生を含めて5人も選ばれているとあって、他チームにとっては何とも羨ましい限りだ。
 しかも、今年も大量に超高校級の選手ばかりがごっそり入学がしてくる。現在イングランド遠征にいっている松岡、馬場、岸などの逸材ばかりで、また明大の重戦車FWがグレードアップされることは間違いない。
 いっそうポジション争いが激しくなる明大だが、部員は血まなこになって体力づくりに励んでいる。その一つは相撲部屋への出稽古。これは毎年シーズンオフに入ると明大ラグビー部恒例のものだが、足腰を鍛えるには一番いい方法とか。

早稲田大学
 「王座奪回」が至上命令の早大にとって久々に明るい話題。
 このところ入試の難しさでなかなか好選手の入部が期待されなかったが、今年は大物が難関を突破した。セレクションを受けた70人余りのうち13人が合格したが、その中には日本高校代表の本城(久我山)、吉野(日立一)、津布久(佐野)らの逸材がたのもしく顔を並べている。
 伝統の早大バックスの救世主となり得るか、関係者、ファンの熱い注目を今から集めている。
 また、早大―社会人チームといったレールがあったのだが、今春の卒業生の就職先をみる限り、その神話もくずれかけている。今年の卒業生の中で社会人になってもラグビーを続けるのは、石橋哲(三菱重工長崎)、と伊藤(リコー)の二人だけ。あとは大半がクラブチームでプレーすることにないそう。
 そんな中で今呼びかけているのがチームをつくっての国体予選参加、早大OBチームが東京都の予選で旋風を巻き起こすことができるか。

法政大学
 明大に大学選手権の1回戦で善戦むなしく敗れ去った法大であるが、久しぶりに復活のきざしがみえる。
 石井監督の来シーズンに賭ける意気込みはすさまじく「明大恐れるにたらず」と大きな自信をもっている。今年のメンバーの中で主力の大半は残るとあって、来年こそ、法政時代の再来となるかどうか、今から楽しみである。
 練習も他大学のほとんどがオフに入った2月中旬すぎまで行うという熱の入れようで相当気合いが入っている。 
 元住吉のラグビー部合宿所の食堂にはかつての全日本の名選手が、国際試合の時に交換したジャージーや、写真が掲げられている。部員は朝に夕に、このジャージーを見ているが、現在の吉田正雄選手(近鉄)以来、ジャパンのジャージーから遠ざかっている法政だけに、石井監督もじれったがっている。
 FBの下坂が新主将に決まり、新チームの体制も整った。なお昨年は、実現できなかったが、下坂、野々上の両選手のニュージーランドへの短期留学は今年は実現しそうだという。

国士舘大学
 今年5月で創部20周年を迎えるラグビー部だが、これを記念して、3月23日から1週間の、台湾、香港遠征を挙行した。二ツ森監督以下、OB、現役部員65名という大部隊での遠征で、試合は台湾で2試合行った。その後香港では、観光とショッピングとノンビリ過ごして、たくさんのお土産の品物を買い込んできて、部員同士比べて自慢し合っている。
 昨年は、リーグ戦グループで初優勝という快挙を成し遂げて、20周年に花をそえたが、今遠征を機に一層の飛躍をと関係者一同願っている。
 新入生も藤本(和歌山工)ら有望な顔ぶれがみられ、十分期待できるだろう。
 前主将のプロップ石川は、職員として学校に残るため、コーチとして二ツ森監督の片腕としてチームをみることになる。ついこの間まで一緒に厳しい練習に耐え抜いてきた下級生部員は「鬼コーチの誕生」かとビクビクすることしきり、今から顔色をうかがっている。当の石川はそれをみて、ただ、ニヤリと笑っているだけ―。

同志社大学
(前掲)

天理大学
 部員不足に頭をかかえている。現在19名、新入生の大量入部に期待を寄せている状態だ。
 しかし、19人の部員は、張りきって連日練習に打ち込んでいる。3月5日から開始された練習は、午前中は走り込みと、ウェイト・トレーニング主体、午後はジャージーを柔道着に着換えて道場に通う。たまには、柔道部員に本格的な稽古をつけてもらうとあって、ラグビー部員の3分の1はおかげで黒帯になったほど―。部員の柔道練習は恒例だが、上半身と足腰が鍛えられて、しかも有段者になれるとあっては、ここ当分柔道練習は続きそうだ。
 部員不足も3月24日からの春合宿を福岡の九産大と合同でやることで解消した。九産大チームとの連日のマッチや、スクラム練習で鍛え込んだおかげで、少数精鋭ながら順調な仕上がりだ。
 少ない人数なだけにチームワークのよさでは他チーム以上。練習後の部員の楽しみは今流行のテレビゲーム「インベーダー」、近くの喫茶店では部員が上級生、下級生の区別なくゲームに興じている。

中京大学
 現在40人余りのOB、現役は台湾遠征をしている。一、二軍あわせて8試合ぐらい消化してくる予定だ。
 年々関東の大学に近づいてきてはいるものの、あと一歩のところで勝てない。その勝てない原因は「精神的なもの」と部員一人一人が肝に銘じて練習に励んでいるわけだ。
 今年ポジションで不安が残るのはCTB、松原が抜けた穴をいかに埋めるかが中京大にとって目下最大の課題。激しいポジション争いの中から、松原に続く選手が成長してくれるのを、首脳陣は首を長くして待っているところである。
 中京大ラグビー部は現在60名の部員をかかえているが、特に高校時代に有名な選手というのはめったにいない。それだけに、大学に入ってから位置から育てるというのが部の姿勢だ。そんな中で”打倒関東”を目標にしているから自然練習にも熱が入る。練習に関しては金沢監督はほとんど何もいわない。練習のスケジュールもキャプテンを中心に4年生の自主性にまかせているのが特徴といえる。

福岡工業大学
 3月の22日から恒例の春合宿に入ったが、合宿前までの1ヵ月余りは部員にとって束の間の息抜きのはずだったが、部員はアルバイトに精を出して合宿の費用の捻出に余念がない。そのアルバイトで一番多いのが冷凍会社の荷物の積み卸しだという。大変な力仕事で一般の学生じゃ、なかなか務まらないが、そこはラグビー部員だけあってお手のもの。冷凍会社のほうでも、「ラグビー部員が一番よくやる」と太鼓判を押して要る。部員のほうも「お金になって、しかもトレーニングにもなるので一挙両得」ということだ。「ほしい物もいっぱいある」とはいうが、当分の間ラグビーで目いっぱいしごかれて、当分の間おあずけ。
 福工大といえば、卒業生の就職先で”ゆうかり学園”が多い。今春も南園選手とマネージャーの岸良君の2人が入った。ゆうかり学園は心身障害児の福祉施設だが、学園の理事長が大のラグビー好きで有名。福工大のラグビー部員には「大学での勉強とは関係ないが思いきりラグビーをさせてくれる」と人気の就職先のようだ。


NZ遠征若手日本代表

79.5NZユース遠征1   79.5NZユース遠征2   79.5NZユース遠征3

79.5NZユース遠征4   79.4伊佐地主将


イングランド遠征高校日本代表

79.4E遠征高校日本代表1   79.4E遠征高校日本代表2   79.4E遠征高校日本代表3   79.4E遠征高校日本代表4   79.4E遠征高校日本代表5

79.4E遠征高校日本代表6   79.4E遠征高校日本代表7   79.4E遠征高校日本代表8

    
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